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わたしの中の『Heavenly Psycho』

2015年12月03日 00:38

思い立ったので書いてみようと思う。
いや、なんか書き留めておきたかったから書く。
きっとこれは残しておかなければいけない気持ちなのだと思ったから、書いている。
いつもはパソコンを使うところを、一文字一文字、スマホでぽちぽちしている。
そんな感じで書き留めておきたかったのだ。


2015年12月2日『侍唄』がリリースされた。
私はその1日前である1日に『フラゲ』をしてそのCDを手に入れた。
別に待ち望んでいたから、フラゲをしたわけではない。
関ジャニ∞の新しい楽曲がでること自体はもちろん楽しみにしているが、表題曲がなんだろうと、私はフラゲをする。
関ジャニ∞が好きだし、関ジャニ∞には『数字』という結果も残してほしいし、何よりもこれまでの歴史のひとつひとつを手元においておきたい。
だから、いつも自分の手元にはフライング気味にやってくるCDたち。
今回も当然かのように、フライングゲットして手に入れた、シングル『侍唄』

本来なら、ここで表題曲について語るべきなのかもしれない。
が、ここは割愛させてほしい。
別に嫌いだとかぱっとしないだとか、そういうことを思っているわけではない。
そして新たに発表されたエイトのクリスマスソングに魅力を感じていないわけではない。
ただそれ以上に、わたしにとっては『Heavenly Psycho』という曲が大事だったということだ。

『Heavenly Psycho』が、錦戸亮編曲で音源として出てくる、と知ったとき。
正直なところ、たくさんの楽しみの中にほんの少しの切なさと寂しさを私は感じていた。
何故ならこの曲は『8人』の曲であって、今後どんな形でうたわれようと、あのコの居場所を少し感じるような、そんな位置付けの曲だったからだ。
それはあくまで私の中にだけある解釈であって、関ジャニ∞にとってそうであると思っていたわけでもないし、今さら8人で活動してほしいと思っていたわけではない(8人で活動してほしいと思ってる人がいることは知っているしそれを否定してはいないが、私はとうの昔に8人であることが全てではないと思っている)
だがしかし、私はライブ等生でみたものだけではなく、CDの音源も何度も聞いて『Excite』をアホみたいに繰り返し見て、何度も何度も暗いマルチアングルを見たりもして、あの曲は『8人』だ、と思っていたのだ。
そしてそれは普遍だと、何故か思っていた。
だから少し、ほんの少し、きっとこれが7人の曲になってしまうのだろうと感じてしまって、寂しかったのだ。

だから。
誰かがどういってるとか、余計なことをいれずに聞きたいと思った。
錦戸さんがどんな気持ちでそれを作ったのかとか、そういうことすら入れずに、余計な想像力を働かせないですむように、そうしてから聞こうと思った。
他の誰でもない、錦戸亮が、あのコに一番近かった『亮ちゃん』が作るからこそ、余計なことを入れずに。
その結果、私はカップリングに、この『Heavenly Psycho』が入っていることを、パソコンにCD音源を取り込むまで忘れていた(笑)
そして取り込んでやっと、あ!そうだった!と妙に緊張した。

そうして始まった新しい『Heavenly Psycho』
最初いくつかの音を聞いてまず思ったのは「あ!明るい」ということだった。
錦戸さんによって編曲される前のこの曲の私のイメージは『儚い中にあるひとつの希望』といった感じで、前は向いているものの、先に拓けた明るい未来があるような曲とはどうしても感じれなかった。
が、しかし、新しい『Heavenly Psycho』はたった数音で、拓けた未来が見えてきた。
たったの数音で、だ。
そうして進むとシンセサイザーの音に重なる、トランペット。
柔らかい音ひとつひとつが愛しいなと感じる。
きっと錦戸さんは、シンセサイザーとトランペット、つまりは村上さんと横山さんという二人が、関ジャニ∞の『音楽』を作るのに欠かせない存在であること、そして錦戸さんがメンバーがそれを嬉しく思っていること、を、音にして、音楽にして伝えたかったんだ、と思うと、自然と頬が緩んだ。
そして、ひとりずつ、歌い次がれていく歌詞。
すこし、いや、随分とひとつひとつがしっかりとした、歌声。
渋谷、錦戸、丸山。
サビになって、大倉、安田。
ここから柔らかさよりも力強さが。
もちろん演奏することに重きをおく意味もあるのかもしれないが、ここから村上、横山、と歌い次がれていくのもまたいい。
みんなの音が重なっていくなかにひびく二人の歌声と、そして全員がうたうサビ『希望の歌』
そこには儚さなんてひとつもなくて、本当の意味での『希望の歌』 になったようにわたしには聞こえた。

知らず知らずのうちに、私は泣いていた。
あのコの居場所がなくなったと感じたからではない。
いろんなことを乗り越えて、たくさんの努力をして、そうして錦戸さんの手によってこの『Heavenly Psycho』という曲は、あのコにとっても関ジャニ∞にとっても、そして∞erにとっても、きっと本当に『希望の歌』になったのだ、と感じたからだ。

どちらかというと、錦戸さんはあのコのことを割りきったかのようにみえて割りきることなんてできないだろうと、同じところで足踏みしてまうこともあるだろうと、勝手にそう思っていた。
だけど、違ったのだ。
錦戸さんはあのコにも、関ジャニ∞にも、そして自分自身にも、耀く未来を拓いたのだ。


…なんて、かっこよく語ろうとしているけど、ただ単にこれは私の想像の中の話であって、誰もがそう感じるわけではないのかもしれない。
だけど、残さずにはいられなかったのだ。
それくらい、この新しい『Heavenly Psycho』には、いろんな思いがこもっているように思ったのだ。

この『Heavenly Psycho』を、新しい『Heavenly Psycho』を、全く別の曲だと言う人もいるだろう。
だか、私はそうは思わない。
錦戸さんは曲にもこれまでの全ての『関ジャニ∞』にも愛をもって編曲をして、その愛に他メンバーが応えた。
だからできた新しい『Heavenly Psycho』なのだ。
別の曲ではない、進化した『Heavenly Psycho』なのだ。

何度も何度もきいた。
きっとしばらくは何度となく聞きたくなるし、聞くのだろう。
だけど、私にとってこの曲は、この曲が入ったこのCDは宝物になると感じている。
これからのエイトが、関ジャニ∞が、大切にしてほしい曲だから。

そうして私は、いつもはしない行動にでた。
それは通常盤のCDの2枚目を買うことだ。
2枚目を買うのは、なにかの応募の権利がほしいとかそういうことではない。
ただ、大切に、開けずに、とっておきたいような、宝物みたいなものが、そこにつまっていると感じたからだ。
私はきっと、新たに手に入れた2枚目のCDを開けることはないだろう。
でもそれでもいいのだ。
そんな気持ちにさせてくれた楽曲が、その中には入っている。

今もこうしてこの文章をぽちぽちうちながら、何度も聞く『Heavenly Psycho』
決して以前のこの曲が悪いわけでも嫌いなわけでもない。
ただ、私にとってはこの新しい『Heavenly Psycho』が、愛に溢れた『Heavenly Psycho』が、宝物である、それだけだ。


最後にはなったけど。
亮ちゃん、どんな思いでどんな経緯でこの曲をリアレンジすることになったのかはわからないけど、わたしに宝物の曲をプレゼントしてくれてありがとう。
関ジャニ∞みんなで、作ってくれてありがとう。
どうかいつか、この曲を生で演奏しているのを見れますように。
そう願ってやまない、そんな夜。


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