みかんの花咲く丘

2013年07月02日 19:40

久しぶりの更新なのに、エイトとは全く関係ない話(爆)
しかも暗い話だけど(爆)
私にとっては、大切な話で残しておきたい話だから、こちらにも。
FBにも載せたのに、足らないらしい(笑)
ホントに重い話なので、落ちてる時には読まないでね(爆)
…という話は続きから。
みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道

何となく聞いたことのある節かなぁ、と感じてもらえると何だか嬉しい唱歌、「みかんの花咲く丘」の一節です。
私にとっては、この歌は「幸せのうた」だったのですが、この数日前に「悲しみのうた」にもなってしまいました。

…ここからはちょいと重い話よ。
気をつけて頂ければ(笑)




先日、田舎で1人でくらしていた祖母が、なくなりました。
娘や息子ばかりか、近所に住む誰もが、「忙しい人だったけど、あまりにも早くに逝ってしまった」と嘆くほど、彼女の死は想定外でした。
明るく朗らかな人で、亡くなったとされる2日前まで、近所の人たち1人ひとりを気にかけ、遠く離れた娘たちにも花を送る面倒みの良い、誰もが「良い人」だと言ってくれる自慢の祖母。
雨が降り続いたのが災いとなってしまったのか、彼女が発見されたのはもう冷たくなってしまってから、2日後のことでした。
発見してくれた近所の人は、もう少し早ければ、もっと気づいてやってれば、と嘆いて下さったけど、推定される死因から考えると、あの村ではどうしたって助からなかっただろう、と。
医者もいない、病院までどんなに急いでも車で30分もかかるような小さな村では。
だから、どんなに誘ったって「ここが良い」と離れなかったあの家で最期の時を過ごしたのは、きっと良かったのだろう、と。

…でも、少し苦しい死に方をしてしまったから、最期はつらかったかな?(苦笑)
最期、意識が薄れゆく中で、彼女は何を思っただろう、と考えながら遺影を見ていました。
よく、走馬灯のように自分の人生を思い出す、と言うけれど。

彼女は瀬戸内の小さな村にうまれ、ホントの父親も知らされぬまま養女となりました。
子供の頃から明朗活発で、それなりに良い暮らしもさせてもらったそうで、誰もが知る「良い子」だったそうです。
あの時代の人には珍しく、彼女の幼い頃の写真は何枚もあり、どれもが見るからに仕立ての良いもので、彼女も「良いものを着せてもらったし、1人だけ麦でなく米を食べさせてもらった」と言っていました。
養父が亡くなってからは「あぁ、これが養女なのか」という生活もしたそうですが、18で結婚し4人の子供を設けました。
決して裕福ではなかったけれども、彼女の明るさが家を支えていました。
その血を受け継ぎ、子供たちも勉強も運動もなんでも頑張る子供に育っていきました。
そんな矢先、子供たちがいよいよ自立する頃に夫に先立たれ、四人目の子供が25年前に結婚してからは、ひとり、あの家で生活してきました。
その25年の約1/5の時間、私は祖母と一緒にあの家で育ちました。
私にとっては、あの時間は不可抗力で作られた時間だったけども、こうなってはじめて、あの祖母と過ごした時間がどんなに自分の財産になっているか、と感じています。
子供たちがみんな離れていく中で、彼女と一緒に暮らした孫は私たち兄弟だけで、その時間がなければ、こんなにも彼女の生い立ちや生きざまを知らなかったと思うし、何より彼女の強さや優しさも知らなかったでしょう。
そしてきっと、私はこんな風に生きてなかったでしょう。

そんな彼女の夢は
1.日立のCMの「このきなんの木」の木の下で横になること
2.旦那が連れていってくれなかった温泉旅行にいくこと
3.子供たちに介護の迷惑をかけないであの世にいくこと
でした。
皮肉にも、3つ目の夢だけかなって、いきいそいでいってしまいました。
夢をこの手で手助けできなかったのは、心残りではあるけど。


今年の5月、もう10年以上あの村に帰っていなかったのに、急に思い立って帰りました。
あの村から出る日、彼女は何がどこにある、と私たちに教えながら片付けていました。
いま思えば、「自分がするからいい」と場所を教えてくれなかった人なのに、あのときは。
そして今回、帰ってきたら娘たちよりも場所を覚えていた自分がいて、そして彼女ならここにおいてあるかも、と場所を知らなかったものまで、見つけてしまう。
何だか不思議でした。
虫の知らせとはこういうことをいうのか、なんなのか。
帰る道なりで、ひとりバスにのったあのときも、どうしてかこれが最後になってしまう気がして隠れて泣いていたのも、虫の知らせなんでしょうか。

様々思うことはあったけれども、やはり出棺の前の、あの光景だけは忘れられない。
歌が好きだった彼女のために唄った、「みかんの花咲く丘」
彼女の子供たちにとっても、私にとっても、あの歌は彼女の歌で、大切な歌。
だれかが歌えば、そこに自然とハモりがついて、大合唱に。


何時か来た丘 母さんと
一緒に眺めた あの島よ
今日もひとりで 見ていると
やさしい母さん 思われる


涙ばかりでは何にもならないことはわかっているけど、この歌はあまりににも、あの村と彼女そのもので。
一緒に唄ったあの日も、そしてこの歌も、忘れることはないでしょう。

何度もありがとうをいいました。
そんなことでは足りないけども、ありがとうしか言い様がないから。

ありがとう。
いつかまた、一緒に歌いましょう。


コメント

  1. のゆ | URL | -

    少し辛いお別れでしたね。
    たくさん思い出してあげてください。
    顔も声も日常のあれこれも、思い出せる限り思い出して。
    そして泣いてあげてください。
    時々は、誰かに話して差し上げてください。
    それが供養になると思います。

  2. ゆきまる | URL | -

    辛くて、哀しい別れだったのですね。
    読んでいくうちに、父との突然の別れの日
    母との、別れの日までの最期の時間を思い出して

    涙が出てきました。

    おばあちゃんは、こんなに優しいお孫さん
    素晴らしい子どもさんたちを授かって幸せな一生でしたね。
    思い出してあげることが供養になります。

    また、たまに村に帰って、おばあさまのことを思い出してあげてください。
    私も、村で育った人間です。なんだか勝手に親近感。
    また、おばあさまの思い出話し、ここで聞かせてくださいね。

    お悔やみ申し上げます。合掌

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