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憎まれっ子世にはばかる、とは言いますが。

2012年03月08日 12:09

まずは久々の更新にコメントを下さった方々、ありがとうございます。
もうひと月以上更新していないので、心待ちにしている方などいないだろうと思っておりましたが(爆)更新を楽しみに待ってくださっていた方もいらっしゃった様子で。
そうなるとホントにここ最近の更新率の低さにただひたすら謝るしかないのですが(汗)
4月中旬まではほとんどお休みがない状態なので(苦笑)合間を見つけてちょっとでも更新できたらいいかなぁと思ったりもしてます。
手軽にツイッターに逃げちゃうけど(汗)その辺もご了承頂ければ、と(汗)


さてさて、タイトルの話。
先日久々にね、お友達のブログに言ったらなにやらながーい文章が書かれていて。
こうまぁ、真剣に読まないととり間違えしそうな長い文章だったわけなんですが(笑)



『憎まれっ子世にはばかる』
意味は『人に憎まれるような者が、かえって世間では幅をきかせる。』
幅をきかせるっていうのは『威勢を張る』『威張る』という意味なんですが。
ホントにね、昔の人は上手だよね、と思いません?(笑)

読んだブログの中身を書くとね、ちらりと。
「チケットを交換してください」と書いたら「チケットが取れていない人もいるのに、交換なんて贅沢。1枚も取れてない人の気持ちも考えて。譲らないなら記事を書くな」ってな返答がきた、ってとこからスタートした感じなんですが。
たぶん皆さんも経験があると思うのですが。
どうしても行きたい公演のチケットが1枚も取れなかった時。
どうしても諦めきれなくて「譲ってください」って探し回ったりすること。
なんでこんなに当たってる人もいるのに、私には当たらなかったんだろう、って思うこと。
その気持ちの一方で、逆にチケットは無事にとれたけどダブってしまった時。
もしくはどうしても外せない予定が出来てそこには入れなくなってしまった、とか。
いけていない人にと思う気持ちと、あぁでもせっかくだから予定していた公演には入りたいなと思う気持ちを行ったりきたりで、ギリギリまではやっぱり交換を探そうって思ったりすること。
だって1回でも多く彼らに会いたいんだもの、と思う気持ち。
割とジャニヲタだとこの気持ちをほぼみんながもったことがあるんじゃないかなぁと思ったりはするんですけど(笑)
だからブログに交換してという記事に書いた人もそれについてやめてとコメントを書いた人の気持ちもどっちもわかるんですよね。
どっちが悪いとかどっちがいいとか、そういうことはここにはなくて。
だけどなにもそんな風な言い方しなくても、って思うような言葉に見えるのは確かで。
『交換して欲しい』と書いた方もひょっとしたら言葉は足りなかったかもしれないけど、コメントを書いた方もその記事を書いた人に対しての気持ちの配慮が欠けているように思いません?
『交換が贅沢』なのはその人の考え方ですからねー。
その人の「当たり前」でその人のものさしなわけで。
私は『交換が贅沢』だとは思わないので、もし「交換してください」と書かれてあっても別に気にも止めないですが。
そうそう、日本語ってやっぱり難しいし、ネット界はやっぱりちょっと思いやりにかけてしまいがちだなぁっていう話なんですが。

そこからどうして↑の話につながるのかといいますと(笑)
また繋がりが見えないけど、興味のある人は我慢して読んでください(笑)
なかはらは何度も書いているように高齢者介護のお仕事をしています。
まぁもう何年も続けていますので、いろんなタイプの人と接してきたわけですが。
いるんですよね、うん(笑)
新人が入ってくれば小姑のように「これができてない、あれができてない」とお小言をいうおばあちゃんや、「あんたの言うことはきけない。小娘に謝られても困るからえらい人を呼んでこい」とかね。
もちろん、『人生の先輩』ですから学ぶべきことはたくさんあって、言ってることがごもっともと思うことも多々あるので全てが間違いかと言われればそうではないんですけど、まぁ、「それは理不尽なんじゃないか」とか「それは自分に都合がいいだけじゃないか」というようなことをいう人もいるわけで(笑)
周囲の人への配慮に欠けるというか、正しいことを言ってるようで周りは迷惑してるとか、嫌な気持ちになってるというか。
そういう人って、まぁ正直なところ、プロとしてはダメなんでしょうけど、やっぱり働いてる方も人間だから「あー、また勝手に言うてるわ」とか「めんどくさいなぁ」と思ったりとか、しちゃうじゃないですか。
一度そういう感情を持ってしまうと、いくら優しくされても「また言うてること変わるし、めんどくさいことにならんかったらええけど」みたいな感じで、優しさすら疑ってしまうというか、まぁ真正面からなかなかその人のイイところを見れなくなってしまうわけです。
もちろんそこからどうやったら真正面からみれるようになるのかはプロのお仕事なんですが(笑)ただもうなんども「この人の言葉にはこれが隠れてる」と思おうとしても辛くなってくる時もあるわけで。
そしてそういう人って何故か長生きです(笑)
ひょっとしたら自分のいいように振舞っているのでストレスが少ないってのもあるのかもしれませんが(笑)
そして周りはというと「あの人はあぁいう人だから、言うても聞かへんし。好きなようにやらせてあげて」っていうもう何年もその理不尽さと付き合ってる嫁やまぁその嫁にまけた長男あたり(笑)が出てくるわけです。
そうすると、その人の言葉って、正確なニュアンスを持って人には伝わらない状態がどんどん出来上がっていくわけですね。
「ホントはこうしたい」とか「ホントはこう思ってる」とかそれが正確にはどんどん伝わらなくなってくる。
だからますます周りの人間からすると理不尽だと思われるようなことを言ってみたり、逆に言うとその人のいうことが周りの人には全て「自分勝手な言葉」に聞こえてしまう。
そう、私が一番なんだから、と威張ってるように聞こえて、でも周りからはウザイなぁと思われてしまう、っていう現象。
別に威張ってるつもりがなくても、他人を思いやった言葉がけをしても、周りが「あの人は自分勝手にそう言ってるだけだから」になっていってしまうんですよ。
私がまだ新人だったころ(笑)に出会ったおばあちゃんに一人そういう人がいて、「まぁ自分勝手な人だよな」という先入観はあったんですよね。
で。
その人と半年くらい付き合って後のことですよ。
「あんたは介護の仕事にむいてないからやめなさい」と言い放ったれました(笑)
私は中学生の時からこのお仕事がしたくて頑張ってきたのに、まぁすぐに凹まされたわけですが(笑)
今考えるとごもっともな意見だったわけですけど、当時の私にはとてもじゃないけどちょっとこれができなかっただけで言われるだなんて、と理不尽な言葉に聞こえて、まぁ、苦手な利用者さんの一人になってしまったわけです。
ただここはお嫁さんが凄いできた人で多少理不尽だと思われることを言われても、わからないことで怒られても「ごめんなさい、お義母さんも大変なのに気遣いできなくて」と言えるお嫁さんだったんですね。
だから新人の私の言うことは聞いてくれなくてもそのお嫁さんの言うことはちゃんときいてくれたんですが。
ある時、そのおばあちゃんがある病気にかかってしまって、まぁ年を考えても日常生活を整えるくらいしか方法はない、みたいな生活習慣病みたいなもんなんですが。
お嫁さんはもちろん、少しでも長生きして欲しいと生活を整えようとするわけですよ。
もちろん私たちもそれは同じ気持ちで、いやだって苦手だけどもやっぱり少しでも可能性があるのなら長生きして教えてほしいことがある、と思っていましたし。
(もうその頃には新人の時に言われたその言葉がごもっともだったっていうことは分かってましたしね)
でもまぁ年だし好きなようにやらしてくれ、の一点張りで好きなように生活してて、時にはその好きなようににならないと怒ってしまう、世話なんてしないでいいと言い出す。
だんだん私もお嫁さんもおばあちゃんがそれでいいんだったらと、諦めるじゃないけど、まぁ、そういう風になっていったんですよ。
だから死ぬ間際に「あんたの言うことをもうちょっと聞いてたらこんな風に苦しまんで済んだかもしれへんな」と言われた時には、あぁ喧嘩してでもいいからもっとあなたのことを心配してますよ、と伝えればよかった、生きててよかった、って思って欲しかった、と後悔したんですよね。
この人の言葉の裏には、いつも周りを思いやる何かがあったはずなのに、と。
ホントの最期の最期にお嫁さんに「今まで迷惑ばかりかけてごめんな。いいお嫁さんで幸せだったよ」と言ったと聞いたときに、後悔は更に膨らんで。
世話をされることが苦痛だったおばあちゃん、そういえばやらないと言ったのは周りの人間に手間がかかってしまうようなことばかりでした。
そのおばあちゃんと過ごしたのはたったの3年半。
だけどもう10年以上働いた今でも、そのおばあちゃんの言葉は忘れられない。

…なんだか思い出して泣けてきましたが(笑)
言葉の裏には、その人の思いや意図があって、自分にはそう伝わってしまっても、相手はそんなつもりで言ってない場合もあります。
そして上にも書いたように、いつの間にか違うニュアンスで伝わってしまって、真意が見えなくなってしまうこともあります。
だから発する方も受け取る方も、いつも思いやりを忘れちゃダメなんですよ。
コミュニケーションってそういうことで、ただ言葉のやりとりをするんじゃなくて、その先には人間がいるんだってことを、いつも思っていたいですよね。
と思ったな、という話をしたかった、というだけなんですが(笑)
自分の中の当たり前とか一般常識から考えるとそれは理不尽で傷つく言葉かもしれない、けど簡単に「傷つきました」と伝えるだけではそこから何も生まれない。
全ての人と仲良しこよしでやっていきましょうよ、というのは確かに難しい話だけど。
言葉って、伝えるって、難しくて『おもしろい』
っていうお話。


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